EC責任者コース LEVEL3|投資する
メーカーECでは、「これをやれば売上は伸びる」と分かっている施策を前に、実施するかどうかで止まることがあります。セールへの参加、クーポンの発行、ポイント還元、値引き幅の引き上げ。数字が動くことは分かっていても、やっていいかどうかは別の話として残ります。
私自身、メーカーECを経験して最初に戸惑ったのは、売上が伸びる施策でも実施しないという判断が、当たり前に行われていたことでした。
この記事では、目の前の販促施策について実施する・条件付きで実施する・見送るのどれを選ぶかを、自分で決めるための判断材料を整理します。ブランディングの一般論や、ブランド部門とEC部門がなぜ対立するのかという組織の話は扱いません。扱うのは、手元にある1件をどう裁くかです。
この記事でわかること
- 売上が伸びる施策でも実施しないことがあるのはなぜか
- 施策を判断するときに見る5つの基準
- 値引き・クーポン・ポイントを同じ割引として扱えない理由
- セールで売上が伸びても成功とは限らない理由と、確認する数字
- 実施・条件付き実施・見送りを分ける判断表
なぜメーカーECでは「売れる施策」を全部はやらないのか
メーカーのECは、独立した販売チャネルではありません。同じ商品が実店舗や卸先でも売られていて、価格やキャンペーンの影響はEC単体では収まりません。ブランドも会社の資産として扱われています。そのため、ECの数字だけを根拠に決められる範囲は思っているより狭いです。
ただし、これを「ブランドを守ることが大事だから」で終わらせると、何も決められなくなります。必要なのは、どの条件を満たせば実施できて、どの条件を満たせないなら見送るのかを、自分の言葉で言える状態です。
施策を判断するときに見る5つの基準
私が施策の可否を考えるときに見ていたのは、次の5つです。売上はここに直接は入っていません。売上は施策をやる理由にはなりますが、やっていいかどうかの答えにはならないからです。
① 法令上・社内基準上、実施できる施策か
表示や訴求の内容が、景品表示法や薬機法、社内基準に照らして説明できるかどうか。私の経験では、社内でグレーだと判断した表現や施策は採用しませんでした。実施すれば売上が1.5〜2倍程度動く可能性があると見ていた施策でも、ここで止めたことがあります。数字の大きさは、この基準を動かす材料になりませんでした。
法的な線引きを担当者だけで判断しきるのは現実的ではありません。価格表示については消費者庁が「不当な価格表示についての景品表示法上の考え方」を公表しているので、迷う表示は一次情報にあたり、社内の確認を通すのが確実です。
② 売上ではなく利益が残るか
値引き分、ポイントやクーポンの原資、送料、広告費を引いたあとに何が残るか。売上が伸びても粗利額が減る施策は珍しくありません。見るのは利益率より粗利額です。計算の考え方はECの利益管理で扱っているので、この記事では深入りしません。
③ CPA・LTVまで含めて採算が合うか
新規顧客の獲得が目的なら、そのセールで売れたかどうかだけでは足りません。いくらで獲得し、その後の購買まで含めて採算が合うのか。私は売上と合わせてCPAとLTVを見ていました。継続して買ってもらえる商材なら獲得単価が高くても成立しますが、単発で終わる商材で獲得単価だけが上がっているなら、その施策は目的を果たしていません。
④ セール前後を含め、本当に需要を増やしたのか
セール期間中の数字だけを見れば、たいていの施策は成功して見えます。確認が必要なのはその前後です。開始前の買い控えと終了後の反動減まで含めて均したとき、販売数量が本当に増えたのか。
⑤ ブランド・チャネル上、許容できる条件か
値引き幅、対象商品、実施期間が、そのブランドとして許容できる範囲か。そして、他のチャネルに影響が出たときに戻せるかどうか。ここは数字で割り切れないので、「やる・やらない」ではなく「どの条件なら実施できるか」で考えるほうが判断は前に進みます。
値引き・クーポン・ポイントは同じ「割引」ではない
実質的にはどれも割引ですが、顧客の反応は同じになりません。私が担当していたときに、期間を区切ってクーポンとポイント施策を比較したことがあり、そのときはクーポンのほうが反応が良いケースが多いという結果でした。一方、Amazonで担当した商材・期間では、ベタ値下げ(セール価格)、ポイント、クーポンの順に効果が高いという結果が出たこともあります。
この2つは逆に見えますが、どちらも私が見た範囲での話です。商材、価格帯、期間、売場、競合の状況が違えば順番は変わります。どのモールではこの順番が効く、と一般化できるものではないというのが、ここでの結論です。
違いが出るのは、価格表示そのものが下がるのか、原資がどこから出るのかという点です。ベタ値下げは売場での見え方が最も強く変わり、クーポンやポイントは表示価格を保ったまま実質的な負担を下げられます。同じ10%相当でも、ブランド上の受け止められ方と採算は別物になります。
モール施策は「参加しない」を選びにくい
Amazonや楽天などのモールに出店していると、セールやイベントにまったく参加しないという選択は、実務上かなり取りづらいです。売場全体が動く期間に自社だけ動かないと、見え方も数字も影響を受けるからです。
そのためモール施策は、参加するかどうかではなくどの条件で参加するかを考えることになります。動かせるのは次の3つです。
- どの商品を対象にするか(全商品ではなく、在庫や位置づけで絞る)
- どこまで値引くか(ブランドとして許容できる幅に収める)
- どの期間だけ実施するか(イベント期間に限定し、終了後に戻す)
自社ECとモールで一時的に価格差が生まれることについては、私は期間限定のセール価格として許容していました。終わったら戻すという前提が守られているかどうかが、ここでの判断基準です。チャネルごとに何を担わせるかという整理は自社ECとモールの違いで扱っています。
なお、モールのイベントには対象商品や値引き幅について運営側が定める参加条件があります。条件はモールや時期によって変わるので、実施前に最新の公式情報を確認してください。
ブランドによって許容できる販促強度は違う
同じ会社の中でも、ブランドによって踏み込める範囲は変わります。実際に、ある商品では30%OFFを実施している一方で、別のブランドでは5%OFF程度までに抑えるという判断がありました。数値基準があったというより、そのブランドが置かれている位置づけによる判断です。ブランドを守るという理由で販促の強度を弱めることは、実際にありました。
補足しておくと、これは一般化できません。30%下げたらブランドが傷つくとか、10%までなら安全といった線は、商材や市場によって違います。私が書けるのは、同じ社内でも販促強度の許容幅が商品によって違い、その差は数字ではなく位置づけで決まっていたということまでです。
難しいのは、その許容幅が必ずしも明文化されていないことです。毎回個別に交渉すると議論が終わらないので事前に線を決めておきたいところですが、それは部門間のルール設計の領域になります。そちらはブランド部門とEC部門はなぜ分断されるのかで扱っています。
セールで売上が伸びても「成功」とは限らない
ここは、今の私がいちばん反省している部分です。セールをやれば売上は伸びます。伸びたからまたやる。この繰り返しに入ると、施策が検証されないまま回り続けます。頻度が上がっているのに誰も止めないときは、短期の売上を追いすぎている可能性があります。
振り返って良くなかったと思うのは、値引き率を変えたときに販売数量がどれだけ動くのかを確かめないまま、セールを打ち続けていたことです。価格と数量の反応の度合いは価格弾力性と呼ばれますが、ここで必要なのは精密な分析ではありません。前回は何%下げて何個売れたのか、今回はどうだったのか。それを並べて見るだけでも、効き目が落ちてきていることには気づけます。
セールの効果を見るときに、最低限そろえておきたいのは次の数字です。
- 値引き率と、それに対する販売数量の変化
- セール前の買い控え(開始直前の販売数量の落ち込み)
- セール後の反動減(終了直後の落ち込みと、戻るまでの期間)
- 期間前後を含めた売上と粗利額
- 新規獲得が目的なら、CPAとその後の購買
前後を含めて均すと、需要を増やしたのではなく買うタイミングを動かしただけだった、ということがあります。それが分かれば、頻度を落とす、対象を絞る、値引き以外の手を試すといった選択ができます。判断者として問われるのは、売上が伸びたかどうかではなく、なぜ続けるのかを言えるかどうかです。
実施する/条件付きで実施する/見送るの判断表
5つの基準を実務で使う形に落とすとこうなります。上から順に当てはめ、どこかで「見送る」に当たれば、そこで止まります。
| 基準 | 確認すること | 実施する | 条件付きで実施する | 見送る |
|---|---|---|---|---|
| ① 法令・社内基準 | 表示や訴求が社内基準・法令に照らして説明できるか | 社内の確認を通っている | 表現を修正すれば通る見込みがある | グレーだと判断した |
| ② 利益 | 値引き・原資・送料・広告費を引いた粗利額 | 粗利額が残る | 対象商品や値引き幅を絞れば残る | 数量が増えても粗利額が減る |
| ③ CPA・LTV | 新規獲得が目的なら、獲得単価と獲得後の購買 | 獲得単価が許容範囲で、その後の購買も見込める | 対象商品や期間を限定して試す | 獲得単価が合わず、その後の購買も見込めない |
| ④ 需要 | 買い控えと反動減を含めた販売数量の変化 | 前後を含めても数量が増えている | 前後を検証できる設計にしてから実施する | 前後で均すと増えていない。頻度も上がっている |
| ⑤ ブランド・チャネル | 値引き幅・対象・期間が許容範囲か。終了後に戻せるか | 期間限定で、終了後に元の価格へ戻せる | 値引き幅を下げる、対象を絞る、期間を短くする | 常態化して定価に戻せなくなる |
この表で大事なのは、見送るか実施するかの二択にしないことです。実務で多いのは真ん中の「条件付きで実施する」で、動かせるのはたいてい対象商品・値引き幅・期間の3つです。この3つを調整して実施条件を作れるかどうかが、判断者としての仕事になります。
見送るときに、何を代わりに出すか
施策を見送っても、目標との差は残ります。代わりの案がないまま反対するだけでは社内で通りにくく、翌月に同じ議論が戻ってきます。見送りを決めたときは、値引き幅を下げて対象を絞った代替案を出す、実施時期をずらす、価格以外の条件(同梱、送料、会員向けの特典など)で代替する、あるいはその分の予算を別の施策に振り替える、のどれを選ぶかまで考えておくと話が前に進みます。
振り替えを選ぶ場合は、どこに回すかの判断が必要になります。その考え方はECの予算配分で整理しています。
これはブランド側と話すときも同じです。「ブランド上できません」だけでは議論が止まります。どの条件なら実施できるのかを出し合えると、判断は早くなります。
まとめ
この記事のまとめ
- 売上が伸びることは、施策をやる理由にはなるが、やっていい理由にはならない
- 見るのは、法令・社内基準/粗利額/CPAとLTV/前後を含めた需要/ブランドとチャネルの5つ
- 値引き・クーポン・ポイントは反応も採算も別物で、効く順番は商材や期間によって変わる
- モール施策は参加の可否ではなく、対象商品・値引き幅・期間の3つで条件を作る
- セールは前後を含めて検証しないと、続けるべきかどうかを説明できない
売上が伸びる施策を全部やらないのは、慎重だからでもブランドが大事だからでもなく、EC以外の条件まで含めて、その施策を続けられるかを決める必要があるからです。
実行する立場から判断する立場に変わるときに必要なのは、どの条件を満たしたから実施したのか、どの条件を満たせなかったから見送ったのかを、自分の言葉と数字で言える状態だと思っています。私自身、値引き率と販売数量の関係を確かめないままセールを重ねていた時期があり、それは良くなかったと振り返っています。
個別の施策ではなく、市場・商品・チャネル・KPIまで含めた全体の設計から考えたい場合は、EC事業戦略の考え方で整理しています。
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